第2編 歴史 第1章 原始・古代 第5節 奈良・平安時代 3 仏教文化の開花 瓦の交流 瓦の製作は、飛鳥時代は畿内が中心であったが、各地で寺院が建立され始めると地方にも普及した。したがって、地方の瓦には畿内の中央寺院の系統をひくもの、さらには、我が国にその技法をもたらした百済、高句麗など朝鮮半島の影響を受けたものも見られる。恐らく、各地で瓦の製作に従事した工人の交流があったものであろう。 野方廃寺、久見古瓦出土地に見られる7世紀後半の軒丸瓦は、大御堂・大原廃寺と同様、川原寺(奈良県)式の系統をひくもので、互いによく似通っている。また、前述したように、久見からは伯耆国分寺と同系統のもの、また、8世紀中ごろには建てられていたという伯耆国庁のものと酷似した軒丸瓦が出土している。野方廃寺の外縁に珠文を施した軒丸瓦(8世紀前半、次編「指定文化財」の章を参照)は、国内ではあまり見られず、朝鮮半島の新羅に見られる型であるといわれる。さらに、前述した野方で出土した鴟尾(しび)(破片)は、岩美郡国府町の等ヶ坪廃寺と同様のものであることも明らかになっている。今後、これらの研究の進展によって、中央寺院との関連、伯耆国内の古廃寺相互の結び付きなどが、さらに解明されていくと思われる。 |