第2編 歴史 第1章 原始・古代 第4節 古墳時代 5 大和朝廷と政治組織 大和朝廷の統一 3世紀の後半から4世紀にかけて、大和の豪族から成る連合政権が各地の小国家を統一していった。これが大和朝廷と呼ばれるもので、その中心が現在の皇室の祖であった。時代的には、古墳時代の前期と重なる。その後、大化の改新(六四五)を経て、天皇を最高権力者とする律令制の中央集権国家が確立されていくわけであるが、ここでは、大化前代、すなわち古墳時代の政治組織などについて触れておきたい。 皇室を中心とする大和の連合政権を支えた政治組織は、氏姓制度と部民〈べみん〉制度であった。すなわち、氏〈うじ〉は大和朝廷に服属した中央・地方の豪族集団で、その氏上〈うじのかみ〉(族長)は、氏人〈うじびと〉を統率しながら、氏の代表として朝廷の政治に参与した。氏上には、その地位の上下によって、臣〈おみ〉・連〈むらじ〉・公〈きみ〉・造〈みやつこ〉・直〈あたい〉・首〈おびと〉などの姓〈かばね〉が与えられた。また氏上は、隷属民である部民を従えていた。部民は、氏上の支配のもとで、集団的に居住し、農業・漁業などの自営的な生活を営みながら、氏上のために貢納し、賦役〈ふえき〉を提供した。部民制度は、大和朝廷の全国支配が強化されるのに伴って発達し、手工業的な専門職業団体として中央の豪族に率いられたり、あるいは大和朝廷の直属の部民として、皇室に生活の資を貢納する農民になったりした。 先に述べたように、大和朝廷の全国統一事業の過程は、古墳時代の始まりと呼応する。東郷湖周辺で、4世紀に入ってから大規模な前方後円墳を築き得た豪族が、朝廷と何らかの結び付きを持っていたことは想像できる。しかし、馬ノ山4号墳・北山1号墳などを築いた豪族がだれであったのか、歴史にその名は残っていない。 |
|