第2編 歴史 第1章 原始・古代 第4節 古墳時代 3 郷土の主な古墳と遺跡 長和田と官内の古墳 長和田32.33号墳は昭和52年に、また、宮内45〜47・58〜60号墳は昭和58年から2か年にわたり、それぞれ発掘調査された。 長和田字「清八」のこの両古墳からは、いずれも木棺を納めた跡が発見された。木棺の大きさは、両者とも幅65センチメートル、長さ4.3〜4.5メートルとかなり大型であった。また、32号墳では木棺を納める土壙が二重掘りになっており、その段の肩口に、木棺とのすきまを埋めるためと思われる幅15センチメートルほどの粘土が帯状に巡らされていた。東伯耆では初めての発見例であった。両者とも出土した土師器の形状から、5世紀後半の築造と推定されている(東郷町教育委員会『長和田32・33号墳発掘調査報告書』)。 宮内の古墳群は、いずれも埋葬施設は確認できなかったが、出土した須恵器などから中期古墳群と考えられている。前期の古墳は比較的小高い丘陵地に設けられる例が多いが、後期には横穴式石室築造の容易な山ろくに移行する。宮内の古墳群は、前期から後期に移る過渡期のものとされる。なお、前述の須恵器の一部には、5世紀後半に編年されるものを含んでいるという。長和田・津波遺跡出土のものと同様に、埴見窯跡で焼いた須恵器に先行する古い形式のものである(東郷町教育委員会『宮内古墳群発掘調査報告書』)。一説に、埴見窯跡の始まりを5世紀後半と推定し、この宮内出土の須恵器を埴見で製造したものとする。 |
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