第2編 歴史
第1章 原始・古代
第4節 古墳時代
 3  郷土の主な古墳と遺跡

羽合町・長瀬高浜遺跡
 羽合町の長瀬高浜遺跡では、前方後方墳、円墳などの墳墓のほか、竪穴式住居跡、大量の埴輪、群など、古墳時代の遺物、遺跡が豊富に出土している。同遺跡は、古墳時代前期から中期前半にかけて大集落が営まれ、中期の中ごろから後期の後半にかけては、前方後方墳をはじめとした墳墓群が造られたとみられている。
 墳墓のなかで最も際立っていたのが、1号墳と呼ばれる中期の円墳である。直径30メートル、高さ3.5メートルの規模を持ち、周囲に幅4メートルの溝があった。封土の流失を防ぐため、溝の底近くから墳丘の中ほどにかけて河原石を敷き詰めていた。埋葬施設は、周溝内に14個(箱式石棺9個・円筒埴輪棺4個・石蓋〈ふた〉土壙墓1個)が見つかった。中心主体の箱式石棺は、厚い板石を2枚にはがして側壁とし、入念に粘土張りが施されていた。またい礫〈れき〉床の上には、ほぼ完全な人骨が残っていて、25〜40歳の女性と推定されている。その頭部の骨は、全体に赤色顔料が塗られ、3個の高圷〈つき〉を組み合わせた土器枕に載せてあった。額の部分には、竹の櫛〈くし〉も置かれていた。同遺跡では、遺体の枕に土器を利用したものが11例、石を利用したものが32例確認されている。このほか、七号墳と呼ばれる直径約17メートルの円墳(中期〜後期)は、幅3メートル、深さ1.4メートルの周溝をもち、その周溝部の3か所から、馬の骨や歯が出土した。
 同遺跡では、昭和57年度現在で、90基の墳墓が発掘されている。前述したように、この墳墓群は、古墳時代中期に当たる5世紀の半ばごろから築き始められたものである。全体的に、墳丘を持たない1個の石棺や土墳墓を設けた例が多く、個人墓的性格の強い墳墓が同一集団のなかで集中的に造られた遺跡とみられている(財団法人鳥取県教育文化財団『長瀬高浜遺跡発掘調査報告書VI』)。



「長瀬高浜遺跡1号墳」の全景

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