第1編 自然と地理
第1章 自然と環境
第4節 東郷湖
1 湖の成因
縄文海進と平野の形成
ウルム氷期の終結後、今から約5,000年前に海水面が再び上昇した。この時期が縄文時代にあたることから、この現象を「縄文海進」と呼んでいる。この海進で、当時の海水面は現在より六〜七メートルは高かったと(注)推定されている。前述した東郷湾の時代ほどではないが、現在の町域の平野部は大半が海面下にあったことになる。
やがて縄文海進が終わると、海水面は再び低下して陸地化するとともに、内湾では各河川が運搬する砂礫で埋め立てられ、現在の平野ができ始めた。また、日本海の湾口部では、風波によるたい積でできた沿岸州が西から東へと成長して内湾をふさぎ、海から分離する兆しを見せた。沿岸州は、現在の北条砂丘、長瀬砂丘のもとになる地域で、その上には新しい砂層がたい積していった(図7)。約2,000年前までのことである。
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図7 東郷湖周辺の変遷想定図3 |
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図8 標高8m付近の小字位置図 |
(注) |
次に掲げる町内の小字名は、いずれも水に関係した地名で、標高八メートルの等高線の近くに位置している。すなわち、海面が六〜七メートル上昇したという「縄文海進」当時、海岸線の付近にあった地域の名である。このことによって、これらの地名の幾つかは、既に縄文海進の昔、縄文人によって命名されたとみることが可能であろう。特に花見地区に密集しているのは、注目に値する(括弧内の数字は図8中の番号を示す)。
宮内=宮津・下宮淳(以上1)、只津(2)藤津1=中浜(3)、八津(4)白石=馬淵・沖(以上5)田畑=山崎(6)、切崎(7)
長和田=入江(8)、長砂(11)、津浪(12)、赤浜(14)
長江=岸・大岸(以上9)、砂田・江尻・茅崎・上茅崎(以上14)
門田=長砂(11)、鯰〈なまず〉(13)〔鯰は沼津の転転訛〈か〉か〕
埴見=赤浜・船谷(以上14)、池ノ谷(15)、岸ノ前・上袋・下袋(以上16)〔袋は、水辺又は池川などの水に囲まれた土地〕
佐美=鯰(13)
狩猟・採集の原始時代から、シカのとれる山、サケのいる川などと共同生活者に伝えるために、その場所を指示する特定の名が必要であった。これが地名発生の起こりであるといわれる(平凡社『大百科事典』)。 |
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