愛らぶ東郷池

温 泉

東郷池に湧出する泉源が利用されるようになったのは江戸時代のこと。
東郷池の西岸に湧出する“はわい温泉”、南岸に湧出する“東郷温泉”は今日まで多くの人々に親しまれてきました。神経痛や関節痛に効能がある温泉は日ごろの疲れを癒すのに最適です。

はわい温泉

はわい温泉

はわい温泉は鳥取県のほぼ中央に位置し、東郷池の西岸にあり風光明媚な温泉地です。
古くは浅津温泉とよばれていて、昭和53年6月羽合町創立25周年を記念して改名しました。
 歴史は江戸時代まで遡り、慶応2年、湯村幸助は東郷湖中心部より自然湧出する温泉を孟宗竹を突っ込んで集湯し、湖上で温泉を楽しんでいましたが、湖面が上下するなど不便であったため、温泉の開発に取り組みました。
 明治19年、付近一帯を埋め立てて上浅津湖岸掘削を行い、現在の地で採湯に成功し、温泉旅館を創業することになりました。
 同43年、上浅津で自然湧出を見つけ、大正初期から温泉の開発が盛んになりました。観光客は年々増え、団体客を迎えるために、湖畔の埋立地に次々と旅館・ホテルが立ち並び温泉街が形成されて、現在に至ります。

東郷温泉

東郷温泉

東郷池中から湧き出る温泉は江戸時代から知られており、1843年松崎の各町惣代組頭が連盟で湖中から温泉の汲み上げを藩に願い出た記録があります。本格的な旅館の創業は明治以降ですが、それ以前に「龍湯島」(白蛇伝説)に温泉場があったことは知られています。
 明治17年には、養生館が旅館として創業され、その後この旅館には多くの著名人の来訪が伝えられています。大正末期松崎駅周辺で次々と新しい泉源が発見され、折からの旅行ブームにも乗って旅館の創業が相次ぎ現在の東郷温泉である松崎温泉が誕生しました。戦後に入り「水明荘」が全国で国民宿舎第一号として開業し、平成7年には多目的温泉施設「龍鳳閣」、そして日本最大級の中国庭園「燕趙園」がオープンしました。
 東郷湖畔に佇み、山陰八景の一つで水郷情緒あふれる風光明媚な温泉地として有名です。

東郷温泉

食 材

東郷池産ヤマトシジミは大粒であり、その見た目から「黒いダイヤモンド」と呼ばれるほどの美しさです。汽水であることから海水と淡水の両方の魚介類が捕れ、フナやシラウオ、ウナギも絶品です。

東郷池の歴史

東郷池周辺には多くのの古墳が見つかっています。なかでも「馬の山古墳群」は前方後円墳5基に円墳17基と山陰地方でも有数の規模を誇ります。馬の山の山頂にある“ハワイ風土記館”で歴史を学んだあとに、壮大な古墳群を見下ろしてみてはいかがでしょうか。

昔の東郷池の絵図 (伯耆国河村郡東郷庄之図)「東京大学史料編纂所所蔵模写」 /
東京大学史料編繁所所蔵

今から約760年前の鎌倉時代中期に描かれた絵地図です。
この絵図は、生嘉2年(1258年)、「東郷荘」の領有権をめぐって対立していた領家と地頭の支配地域を明確にするために作られました。絵図の境界線の両脇には、当時鎌倉幕府で執権を務めていた北条長時と、その補佐役である連署を務めていた北条政村の花押が据えられています。領家と地頭の両者が、鎌倉幕府の法廷でその支配地を折半することで和解し、地下中分を行ったことを示しています。
絵図を見てみると、東郷層の地形や人々の暮らしを想像させる重要な情報が繊細なタッチで表現されており、美しい自然環境や貴重な歴史遺産が、今もなお受け継がれ存在しています。

生き物

東郷池の豊かな水辺周辺には、野鳥や魚、昆虫などたくさん生き物が生息しています。昭和40年代には人々の生活が豊かになる反面、池の豊かさが失われ、水草が姿を消し、アオコが多発するようになりました。その後町民の清掃活動や水質浄化のための活動により、少しずつ本来の姿を取り戻し始めています。

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