第2編 歴史
第4章 近代・現代
第6節 観光
 1  温泉街の発展

温泉地の宣伝と温泉組合
 「立木柳蔵日記」によると、昭和6年、鳥取新報社主催の「県下十美人投票」の企画があったことが知られる。立木は、この企画を東郷・松崎両温泉を広く紹介する1つの手段として利用しようとしたのであろう、(注1)検番事務所などと相談しながら、「松崎芸妓〈ぎ〉の物色」など投票参加の協議をしている。
 また、翌7年10月、大山国立公園の指定に伴って、鉄道省の撮影班が大山を中心にした活動写真(映画)の撮影のため、来村している。松崎駅を背景にした船着場、投網漁、魚釣りなどが撮影された。「立木柳蔵日記」には、「鉄道省の撮影予定は七十尺のヒルムなりしも二百二十尺を撮りたり」と記されている。このほか同6年7月「国際観光局長新井氏」、翌7年9月「岡山市山陽新報主催の温泉視察団」が当地の視察に訪れている。このような記録から当時、当温泉地が内外の注目を集めていたものと想像される。
 東郷温泉・松崎温泉組合の創立総会は、同6年6月8日に開かれている。詳しい活動内容は明らかではないが、前記・鉄道省の撮影に先立って組合評議員の打ち合わせ、組合役員会などが開催されている。後述する「県立公園期成同盟会」などにも参画して、温泉旅館の発展を企図したのであろう。また、同8年元旦には、温泉組合として次の年賀状を発送したことが知られる。
    恭賀新年
  湖上の一面には早や遠霞〈がすみ〉をみとめます 大山国立公園を中心に湖色の春を満喫せられる様 旧に倍し(注2)吟〈ぎんきょう〉を曳〈ひ〉かせられることを切に待望してゐます
   皇紀(一九三三)二千五百九十三年元旦
           鳥取県東郷湖畔
               東郷温泉/松崎温泉/組合
 (以上「立木柳蔵日記」による)
 (注1) 旅館と置屋(後述)の間に立って、芸者の取り次ぎや玉代〈ぎょくだい〉の精算をする事務所。
 (注2) 詩人の持ち歩くつえ。
   
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