第2編 歴史 第4章 近代・現代 第6節 観光 1 温泉街の発展 松崎温泉と旅館創業 大正15年2月の新泉源発見以後、駅前周辺では温泉の試掘が相次いだ。これに伴って、新しい旅館が次々と創業した。「立木柳蔵日記」にも、温泉試掘の現場視察をはじめ、創業した旅館、完成した温泉場を視察する記述が随所に見られる。 また、新泉源発見から間もない同年2月20日、地元では早くも温泉の名称を「松崎温泉」とするよう、その運動方法が協議されている(「立木柳蔵日記」)。従来は、養生館1軒だけで東郷温泉の名が定着していたが、松崎駅前周辺での旅館創業が相次いだため、観光客の誘致をねらって駅名を冠した温泉名が考えられたとみられる。鉄道省の編さんで毎年発行された『温泉案内』によると、昭和3年2月、東郷温泉のほかに初めて松崎温泉の項目が追加されたことが知られる。当時の松崎温泉は、河本・土井・伊藤の三旅館であった。さらに5年後の同8年5月に刊行された『東郷湖畔めぐり』(後述)は、養生館を含めて次の9館を載せている。 伊藤旅館 (館主伊藤於米) 一藤旅館 (館主藤田博敏) 原田旅館 (館主原田つな) 土井旅館 (館主土井みね) 忠成館 (館主秋久照野) 渡辺旅館 (館主渡辺いわ) 河本旅館 (館主谷水りか) 別館遊仙閣 養生館 (館主山枡つる子) 鶴の湯 (館主高松芳太郎) 以後、東郷・松崎両温泉名が併行して用いられている。現在のように東郷温泉として一本化されたのは、昭和28年の町村合併によると思われる。また、前掲『温泉案内』によると、浅津温泉(現・羽合温泉)が昭和2年6月当時、「新東郷温泉」と改称していることが知られる。東郷湖畔にあることを示す温泉名の方が有利とみたのであろう。新興の松崎温泉を意識してのことであったと思われる。 |
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