第2編 歴史
第4章 近代・現代
第6節 観光
 1  温泉街の発展

花柳界の繁盛
 「立木柳蔵日記」によると、昭和6年当時、松崎駅前は新泉源の発見以来急速に発展し、特に花柳界は大変な繁盛で、30人近い芸者がいたという。芸者は舞踊や三味線、歌などの練習に励んだのであろう、同年4月にはその温習会(おさらい会)が共栄座(松崎三区の旧・松崎小学校跡地にあった劇場)で開かれている。「千代萩」や「義経千本桜」などが演じられ、観覧した立木は「何〈いず〉れも其の技の見事なりしは感心せり」と賞嘆している。
 このような花柳界繁盛のピーク時は、昭和6〜8年ごろであった。当時、駅前と上町(松崎一・二区)に一10近い(注)置屋があったという。戦争の激化とともに閉鎖されたが、終戦後の同23・4年ごろ復活した。同30年ごろまでの最盛期には、芸者の数は戦前と同じく30人ぐらい、置屋は5、6軒であったという(以上、旭・米田栄助談)。
 (注) 芸者などを抱えて置いた家。検番などからの求めに応じて芸者を派遣した。
   
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