第四編 民俗
第二章 衣・食・住
第三節 住居
 二  建築様式

明治時代
 明治時代の建築はほとんどが草屋根であって、たまにかわら屋根がある程度であった。ここでは、ごく普通に見られる農家の建築について述べる。
 建物には土台がなく、土台石を据え、これに直接柱を乗せて組み立てる方式である。家の中心となる大黒柱は一尺(三〇センチメートル)角の大きなものを用いた。材料はシイ・ケヤキなどが多かった。小大黒や役柱も素性のよい材料を用いた。梁〈はり〉から上を屋根道具といい、梁は必要以上に太い材木を載せた。これは、家の強度を増す目的のほかに、家の格を誇示するといった面もあった。屋根型は入母屋造りがほとんどで、破風には煙〈けむ〉出しが造られた。屋根は一般にかやぶきであったが、かやが手に入らない家は小麦ワラを混ぜて使ったり、稲ワラを使う場合もあった。かやぶきは四、五十年はもったが、ワラぶきは数年しかもたなかった。
 外回りは、へいごまいを組み、土を塗った荒壁であった。部屋ごとの間仕切りは、人が大勢集まる時などに取り外しができる板戸・ふすまあるいは障子であった。おもての天井は板張りであったが、座敷や部屋は簀子〈すのこ〉天井であった。床〈ゆか〉も簀子張りが多かった。


簀子の上にむしろを敷いた部屋


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