第2編 歴史 第4章 近代・現代 第7節 商工・金融業 2 金融業 奨恵社 奨恵社は明治14年、橋津村(現・羽合町)に設立された。倉庫業と金融業の業務が主体であったが、その余剰金を窮民救助、育児保護などの公益事業に充てることを目的とした団体であった。 その起源は、同10年、郡内の有志が旧池田藩の橋津村官倉の一部を借り入れ、共同倉庫を経営したことに始まる(第五節「地主と共同倉庫」の項を参照)。3年後、宇野村・尾崎文五郎、小鹿谷村・市橋善蔵ら郡内の豪農5人が発起人となり、広く基本財産を募集した。その募集活動に従事した賛助員11人、米・金を寄付した同盟者220人のうち、町域内では次の氏名が知られる。 <賛助員>(町関係者1人) 方面村 伊藤久四郎 <同盟者>(町関係者73人) 北福村 籔幸三郎 籔宇平 山田清次郎 山崎栄次郎 平尾八十九郎 漆原村 山本佐太郎 山本善十郎 川崎新次郎 河本太平 方地村 伊藤伊平 伊藤太平 清水常次郎 白石村 福井長平 野方村 本荘利八 山田直蔵 藤津村 遠藤文平 遠藤甚七 松崎村 足羽恒蔵 伊藤善十郎 久見村 更田喜六 秋久忠次郎 更田忠八 川上村 森田源十郎 森田文一郎 森田與十郎 中興寺村 有沢竹治 伊沢伝次郎 高辻村 上福四良三郎 山本常衛 下山国三郎 方面村 伊藤久四郎 原田林次郎 別所村 千熊吉四郎 瀬戸治三郎 西田文次郎 金涌元七 国信村 深田栄蔵 中井與喜蔵 田畑村 谷本伝三郎 益田徳栄 小鹿谷村 市橋弥三郎 河本善九郎 岩本信十郎 岸本清十郎 市橋千蔵 引地村 森佐次郎 森甚次郎 森字平 森源次郎 野花村 山田国次郎 山田豊三郎 山田民三郎 羽衣石村 徳井吉次郎 尾西久蔵 徳井鹿蔵 埴見村 林重蔵 田中善平 池岡栄三郎 佐美村 竹内沢次郎 竹内五平 仙賀甚七 竹内文次郎 門田村 岡本清九郎 岡本利七 宮城徳蔵 岡本市三郎 松岡嘉四郎 長江村 音田権三郎 音田安蔵 音田茂三郎 音田卯三郎 岡本伝平 岡本甚三郎 長和田村 神波久三郎 この募集の結果、米170石5斗5升、金10円10銭が集められ、同15年から金融、倉庫、窮民救助などの事業が始まった(窮民救助は前節「財政と村政」を参照)。当初の社則によると、「本社は一切米売買とその他商業がましき儀をなすことを厳禁す」、「本社の純益金は悉皆窮民育児に充つるの目的なるをもって毫〈ごう〉も各自に配当せざるものとす」などと、全く営利を目的としないことをうたっている。 後に、金融業は同45年に設立された株式会社奨恵銀行に受け継がれ、さらに山陰合同銀行に承継されている(後述)。奨恵社の具体的な活動状況などは、同社刊『奨恵社五十年史』を参照されたい。 |
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