第2編 歴史
第4章 近代・現代
第5節 農林水産業
 4  東郷湖の干拓
(2) 昭和時代

実現しなかった東郷湖の開発計画
 『町報東郷』第6号(昭和28年11月)によると、当時、国や県が東郷湖の総合開発計画を立てていたことが知られる。その主目的は、海水の逆流や周辺の水田の冠水を防ぐための橋津川の改修と、東郷湖の干拓計画であった。干拓は戦後の食糧難に対応して、農地の開発を目指したものであった。
 湖の干拓計画は、
 1、東郷川尻と羽合町の鷲田が鼻(羽合温泉のある突端部)を結ぶ線から長江・門田より一帯
 2、藤津の通称オオバナ(厚生年金鳥取ふじつ荘の前の辺り)と橋津川口を結ぶ線の北側一帯
合計114.8ヘクタール、東郷湖の約4分の1に及ぶような壮大な計画であった。埋め立て地の堤防に沿って、幅6メートルの道路をつける計画もあった。交通・観光・農業など種々の利点を想定した計画であったが、水害を懸念する地元住民の反対などがあって実現しなかった。


湖岸道路敷設前の松崎地区
写真中央に見える横長の白壁の建物は、万亀蔵商店の土蔵である(旭・河本一三所蔵の絵はがきによる)。


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