第2編 歴史 第4章 近代・現代 第5節 農林水産業 1 農業 (2) 農産物 繭・コウゾ・ミツマタ 県内での養蚕は、藩政時代からわずかながら行われていたという。明治時代に入って、県は蚕の飼料とする桑園の新設や拡張に努める一方で、製糸技術の導入、普及に力を入れた。その結果、明治20年前後に米子、倉吉などに製糸工場が相次いで設立された(『鳥取県史近代第三巻経済篇』)。 町域内でも、明治時代前半から養蚕農家が次第に増えていったとみられる。同30年代後半の繭の移出先はいずれも米子・倉吉であり、主な生産地は当初東郷・花見・舎人の3村、同39年10月末調査分から松崎村が加わっている。 県内の製糸業は、太平洋戦争の激化とともに衰退していった。製糸工場は軍需工場に転用され、桑園も食糧増産のため米、麦、芋などの作物へ転換された(『鳥取県史近代第三巻経済篇』)。前掲・昭和25年の「業務概要表」にも、繭の生産量は記録されていない。ナイロン、ビニールなど新しい化学繊維の普及とともに、町域内の養蚕は戦前のような勢いを取り戻すことはなかった。 紙の原料であるコウゾ・ミツマタは、いずれも明治時代末期は主に東郷村で栽培され、越前国敦賀と因幡国鹿野に移出されている。 |
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