第二編 歴史 第四章 近代・現代 第四節 官公署と医療機関 二 医療機関 (二) 家伝薬の製造販売 羽衣石の尾西家 羽衣石の尾西久光家では、江戸時代から労症(肺結核)薬を製造していた。肺結核は、今でこそ化学療法で比較的簡単に治療できるようになったが、以前は不治の病として恐れられた難病であった。 尾西家の初代は惣右衛門といい、嘉永4年(1851)に没している。その当時から製薬していたと思われる。その後、代々家伝薬として製造され、因伯はもとより津山、岡山、四国、九州にも出荷されていた。ことに3代の久蔵は、明治35年に政府から製造販売許可を受けて事業を拡張し、四国の宇和島近くに出店を持ったり、信州・上田にまで販路を延ばしたりした。明治末期から大正のころが最盛期であった。労症薬のほか、打ち身・肩こり・神経痛などに特効がある膏(こう)薬も販売していた。 戦後になって薬の需要も減退し、昭和47年に廃業した。
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