第2編 歴史
第4章 近代・現代
第3節 戦争と災害
 2  学童疎開

疎開児童の病死と帰郷
 昭和20年4月5日、卒業で神戸市に帰った6年生と入れ替わりに、新3年生80人が到着した。翌5月28日、龍徳寺で「疎開学童・池田隆保君の葬儀」が行われている(「立木柳蔵日記」)。詳しい事情は不明であるが、当時の関係者の証言によると、赤痢にかかり久見の避病院に隔離されていたという。親元を遠く離れた、慣れない疎開先での病死であった。葬儀に参列した母親の悲嘆ぶりは、あまりにもふびんで見るに忍びなかったという(松崎・伊藤勝彦談)。
 こうして、東郷・羽合両町域内で疎開生活を過ごした千歳国民学校の児童たちは、終戦後の昭和20年11月3日、松崎駅を出発して神戸市へ帰った。今なお、町内の関係者と年賀状の交換や文通を続けている人もある。前述の長栄寺など各施設には、昭和31年2月、千歳小学校長などの連名で「幾多の困難の中より並々ならぬ御厚情を賜わりました事は、今も当地の人々の語り草となって感謝の念にあふれている次第でございます。当時の学童たちが本校の卒業生として一社会人となって働いている様子を見ますにつけても、よくもあの苦難の道を切り開かせていただけたものだと感を深くします」という礼状が届いた。当地での疎開児童のなかには、後に著名な漫画家になった横山光輝(東京都在住・来村当時4年生)もいた。かつて全国の少年たちに愛読された「鉄人28号」の作者である。

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