第2編 歴史
第3章 近世
第6節 近世の文化
2 俳諧
『豊鋤田』
河村郡久原村(三朝町久原)の安藤吉右衛門(俳号蘭鳥)が明和5年(1768)に『俳諧豊鋤田(とよすきだ)』と題した俳書を刊行した(赤碕町・河本敏蔵所蔵)。彼の還暦を祝賀して寄せられた俳句や歌仙(連歌)をまとめたものであり、因伯における最初の俳書の刊行といわれる。彼は長年河村郡大庄屋を務め、一時は他郡(久米郡)の大庄屋を兼任したほどの人であった。この句集に町域内の俳人たちから贈られた句が載っている。
明きよミ耳に蓋なし君か春 長和田 梅 水
太平に時計車や花の耳 長 江 笛 子
三千年の香を聞定む胡蝶哉 門 田 万 水
玉津風定む衣□や初日和 長 江 芦 風
乗留て賀に逢ふ春や駒の足 松 崎 東 水
輪を抜て本卦返りや千代の春 〃 南
名は巌ことしそ若き床の富士 門 田 万 水
一チ点チや又新玉を覚書 長 江 芦 風
芬芳に老の莟や初日の出 埴 見 嵐 洞
千代経へき松葉も今朝の若葉哉 長 江 笛 遊
老教(ママ)や藤咲く松の花衣 〃 江 遊
千代八千代爰に新玉翠哉 長和田 梅 水
又ことし雛の声あり家の鶏 長 江 笛 子
『米子市史』は、「俳諧は平民文学として幕末までは貴賤男女の別なく、算盤(そろばん)はじく商人も田を打つ農夫、飯炊(た)く家婦に至るまで、苟(いやしく)も仮名文字を書くことを知る程度の者は悉(ことごと)く発句の意を解せぬものはなかったといってよい位であった」と述べている。