第2編 歴史

第1章 原始・古代

第5節 奈良・平安時代

 

一 律令制下の郷土

律令制の確立

 大化の改新(645)を契機に、壬申(じんしん)の乱(672)などの内乱を経ながら、大宝律令の制定(701)によって、律令制度が確立されていった。律令制度は、皇室を中心とする貴族階級が、全国の人民と土地を直接統治するための中央集権的な官僚支配体制であった。中央に二官・八省などの官僚組織を設け、地方には国・郡・里(のちに郷となった)の制度を敷いた。また、交通制度、条里制及び軍団制などの整備も進めた。律令制度は、その機構・内容など、その後の時代の要請に応じて幾多の変遷をたどるが、日本の古代国家を一つの完成された時代として位置づけた制度であった。

 なお、そうした律令制度も、8世紀末から12世紀末までの約400年間、すなわち平安時代の歴史のなかで次第に崩壊していく。国家支配機構の末端である国司の横暴と、それに対抗する郡司層を中心にした新しい在地支配者層(武士団)の台頭、また、律令制度の大原則である土地公有制の崩壊に伴う初期荘園の形成などによって、時代は中世へと移っていくのである。以下、郷土に関連の深いものについて記述したい。

 

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