第2編 歴史
第1章 原始・古代
第4節 伯耆一ノ宮と経塚

伯耆一ノ宮の神宮寺
 神社に付属する寺院を神宮寺という。神宮院・宮寺・神願寺・神護寺とも称した。多くは神域内にあったが、遠隔地に建てられた場合もあったといわれる。神仏習合思想から発生したもので、天台・真言の2宗に属するものが多い。
 伯耆一ノ宮の神宮寺が、いつごろ創建されて、どのような形態であったかは不明である。しかし、後述するように、伝承などによって神宮寺が幾つか存在していたことは確実である。そうした神宮寺に関係した僧京尊が、一ノ宮の境内に経筒を埋納したのである。その神宮寺も、戦国時代に入って武士に社領を侵略されて経済基盤を失い、やむなく神社を残して四散したと考えられる。
 一ノ宮の神宮寺であったとされる寺に羽合町宇野の安楽寺、泊村宇谷の乗蓮寺がある。共に天台宗の寺であったといわれる。安楽寺は宇野又は宇谷の字「僧ヶ谷」にあり、正来寺と称していたという。乗蓮寺は宇谷の字「寺谷」にあったと伝えられる(ただし、場所については両寺とも異説がある)。
 一ノ宮には、裏参道と称して、宇野・宇谷に通ずる山道がある。前記の地名は、一ノ宮からこの裏参道をしばらく行った辺りにあり、いずれも、東郷町・羽合町・泊村の境界付近である。正来寺に関連した地名には、宇谷の字「正来<まさき>」、「シャラ」があり、宮内にも字「正来<しゃあら>」がある。
 このほか、宮内に残る口碑によると、一ノ宮のお旅所(通称・神事場)前の町道の向かい側、字「寺山」に龍徳寺(現・東郷町中興寺所在)があり、一ノ宮の神宮寺であったと伝える。
 また、一ノ宮のある字「宮坂ノ一」に隣接する字「宮山裾」の谷を隔てて、字「堂山」、「堂前」の地名がある。この一帯にはかつて庵があり、その付近で一ノ宮の神事に用いる「かわらけ」(粕<うわぐすり>をかけずに焼いた素焼きの陶器。灯明・供物などに用いた)などを焼いていたという。近くに通称・かわらけめんと呼ばれる場所もある。「かわらけめん」(土器免)は、一ノ宮の土器製造に対する免田(年貢課役免除の田地)であったと思われる。
 なお、昭和8年に宮内の字「只津平」の畑地で、干草仏が発見された。干草仏は、菩提<ぼだい>樹・モクレン・仏手柑<ぶっしゅかん>の木を焼き、その灰を土に混ぜて焼いた仏像のことで、全国的にまれであるとされる(『町報東郷』第六八号)。一ノ宮の神宮寺に関連するものであろう。

干草仏(高さ約3.5cm)
(東郷中学校所蔵)

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