第2編 歴史 第1章 原始・古代 第4節 古墳時代 3 郷土の主な古墳と遺跡 羽合町・馬ノ山四号墳 羽合町橋津の背後にある標高107メートルの馬ノ山には、24基の古墳が存在する。前方後円墳五基と円墳19基で、これらを一括して馬ノ山古墳群と呼んでいる。このうち、山陰第二の大型前方後円墳である4号墳など14基が、昭和32年、国の史跡に指定された。ここでは4号墳を取り上げて述べる。 4号墳は、同古墳群のほぼ中央に位置し、馬ノ山の頂上から西に流れる尾根の先端近くにある。全長は、現在88メートルであるが、前方部が削り取られているので、築造時は100メートルを超えていたものと推定されている。 後円部は直径58メートル、高さ10メートル、前方部は幅35メートル、高さ6メートルである。主軸は東西に走り、前方部が西を向いている。後円部に比べて前方部が低く、その美しい姿は前期古墳の特徴である。昭和31年に発掘調査がなされた。 埋納主体は、後円部中央の堅穴式石室内に木棺1、これと並んで石室をもたない箱式石棺1、また、前方部から埴〈はに〉製円筒棺1、箱式石棺3、埴輸円筒棺2の合計8個が発掘された。県内でも数少ない竪穴式石室の発見であり、前方部にも埋納設備が見つかったことで注目を浴びた。そのうえ、「埋納主体は、1古墳からせいぜい5個以下」という当時の常識を覆したといわれる(『鳥取県史』)。 古墳時代前期のものと推定される竪穴式石室は、長さ8.5メートルあり、天井石は10枚の板石で構成されていた。その内部には、槙〈まき〉の自然木を2つ割りにして中をくり抜いて舟型にした木棺があった(『羽合町史前編』)。木棺内には銅鏡(三角縁神獣鏡など五面)・石釧〈いしくしろ〉類、木棺の外には刀剣や鉄器類など豊富な副葬品が納めてあった(『鳥取県史』)。また、被葬者の小臼歯1個が発見されている。性別・年齢などは不詳である。遺骨は、このほかに後円部と前方部の箱式石棺からも発見され、それぞれ「成人女性」「熟年女性」と推定されている(山陰考古学研究所『山陰の前期古墳文化の研究T』)。石室や箱式石棺の中には、内部を酸化鉄などで赤く塗られたものもある。恐らく、宗教的な呪〈まじない〉の意味であろうといわれている。 この竪穴式石室は、4号墳の8個の主体の中でも、副葬品の種類・量が豊富なことで知られ、第1号主体と名付けられている。後述するように、同古墳群のうち、4号墳と2号墳のほかに大型円墳である10号墳が古墳時代前期に位置づけられている。そのなかでも4号墳が同古墳群の盟主的な存在である。4号墳の竪穴式石室の被葬者こそ、最も強い権力を持っていた当地の豪族であったと思われる。 埋納主体や出土品の調査から、4号墳では、その後古墳時代中期にかけて箱式石棺など7個の主体部の埋葬が続いたと考えられる。竪穴式石室の構造や、円筒埴輸問題と示唆を与えたとされる。ここで詳しくは述べないので、『鳥取県史』や『羽合町史前編』を参照されたい。 馬ノ山古墳群24基の築造時期は、前期が2号墳・4号墳・10号墳の3基、中期が1号墳・8号墳・9号墳・12号墳・13号墳・14号墳の6基、残り15基が後期と推定されている。また前方後円墳は、前記4号墳のほか、2号墳(全長68メートル.一説に前方後方墳ともいう)、5号墳(同38メートル)、八号墳(同41メートル)、11号墳(同30メートル)の5基を数える。残り19基は、直径10〜50メートル前後(一部不明を含む)の円墳である(羽合町教育委員会・羽合町歴史民俗資料館『特別展古墳時代の羽合町』)。 |
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![]() 馬ノ山4号墳第3主体の埴製円筒棺(長さ160cm、口径29〜33cm) |
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