第四編 民俗 第四章 人の一生 第一節 出生 出産 出産は夫婦の寝室である部屋で行った。明治時代には、床板を簀子〈すのこ〉竹に取り替え、ワラやかますを敷いた上に妊婦を座らせ、背中にもワラ束を置いて、これにもたれかかる姿勢でお産をした。出産後もこの姿勢で過ごした。背もたれのワラは毎日一把〈わ〉ずつ取り除き、男児出生の場合は三一把、女児の場合は三三把のワラを取り除いたときが忌〈いみ〉明けになった。明治の終わりごろから布団の上でお産をするようになった。 お産の手伝いは村内の取り上げばあさんがしていたが、大正のころから産婆制度ができたので、これに頼むようになった。しかし、産婆の数は少なく、遠方から自転車で到着するまでに出産してしまうことがしばしばあった。後産〈あとざん〉は部落で定められた後産いけ場にいけた。途中で人に会わないよう、早朝か夜遅くにした。へその緒は乾操して保管し、女児の場合は嫁入りの際持たせた。また、本人が病気の時せんじて飲ませることもあった。 産児には三日目まで母乳を与えず、フキの根の汁をガーゼに浸して吸わせた。これは胎毒(母胎内で受けた毒)を消すためといわれた。砂糖水も与えた。 |
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