第2編 歴史
第3章 近世
第5節 明治維新の変革
松崎自分政治の廃止
明治2年(1869)正月23日、薩・長・土・肥の4藩の版籍奉還に引き続き、鳥取藩主池田慶徳は、その翌日版籍奉還を上表した。それと同時に、在京中の家老和田壱岐に松崎自分政治の廃止を承諾させたのち、その方針を国元(藩庁)に通知したという(『鳥取県史3近世政治』)。前掲「年寄役目代役替日記」には、「御郡奉行山内峰三郎様御勤中、于時明治二巳二月下旬、当御時節に付、御一新にて、当町の義在中の振合にて、大庄屋尾崎清右衛門、中庄屋秋田兵蔵触下(ふれした)(管轄の意)に成る。但し是までは当町庄屋にても苗字御免に相成り候処、此度の義に付、苗字は付け申さず」と記している。
このようにして、松崎町は和田氏の支配を離れて、在中並みに郡役人の管轄に入ったのである。同時に、庄屋役は野口元三郎からエビヤ善助に交替し、町年寄・目代の制度は廃止された。
参考までに、松崎町が明治3、4年に大庄屋に提出した書類で次のものが伝わっている。
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松崎が倉吉・八橋とともに、今までの「町」名を廃して「宿」とされたのは、明治4年(1871)9月であった。