第2編 歴史
第3章 近世
第4節 庶民の生活
5 火事と病気
松崎の疱瘡
文化年間から幕末の慶応元年に至る50年間に、少なくとも次の年に疱瘡(ほうそう)が松崎で流行したことが分かる。これは松崎の商店に残る「疱瘡見舞到来帳」によるものである。
![]() 「天保六年疱瘡見舞覚」 |
文化11年(1814)
文政6年(1823)
〃 12年(1829)
天保6年(1835)
弘化元年(1844)
安政元年(1854)
慶応元年(1865)
6年から10年ぐらいの間隔で疱瘡にかかっている。これらの年に、この商家の未感染であった乳幼児のほぼ100パーセントが発病している。
『鳥取県史5近世文化産業』によれば、既に嘉永3年(1850)に伯耆で種痘が行われ、安政3年(1856)には、5人の種痘医が藩内5地区を分担して種痘のため回村したといわれる。しかし、松崎に種痘が普及したのは明治に入ってからのことと思われる。
なお、一般に「はしかは命定め、疱瘡は器量定め」といわれたと聞くが、松崎においては、はしかの場合は死亡率が低かったためであろうか、病気見舞いを贈る習慣はなかった。疱瘡のようには恐れられていなかったことを示すものであろう。