第2編 歴史
第3章 近世
第4節 庶民の生活
3 庶民生活に直結した通貨制度と米価
地域による米価の相違
鳥取と地方とでは、米価にも相違があったことを示す資料がある。「諸事控」(『鳥取県史12近世資料』所収)の天保15年(1844)正月20日の記事に、「河村・久米・八橋三郡大庄屋共、村々御年貢払詰残壱俵に付三拾六匁より七・八匁之相場ニて取立、御勘定罷出候処、御当地にては御蔵預四拾壱匁相場に付、御郡中之間銀(差額)大数之儀に付、差懸り手当銀これなく、御勘定差支恐入候段、出府之大庄屋共申出候に付、取糺(ただし)候処余儀なき趣に付(後略)」とある。
毎年正月、大庄屋は管轄内の収支総決算のため、鳥取の御勘定所および在御用場に出向くことになっていた。この年は年貢収納が完了していなかったためか、不足分は1俵につき銀札36〜38匁の相場で銀札を用意して出府した。しかし鳥取では1俵41匁の御蔵預り値段であったので、多額の不足銀を生じた。大庄屋は早急に銀の手当てができず、その旨を在御用場に申し出た。在御用場も事情を了承して応急措置をとったとしている。
このように鳥取と地方との間では、米価や切手値段に相違があり、予期しないトラブルの原因となった事例が見られるのである。