第2編 歴史
第3章 近世
第4節 庶民の生活
3 庶民生活に直結した通貨制度と米価
松崎町の勘定不足
『鳥取藩史民政志』によれば、村々の年貢、三歩御貸米・牛銀の元利、雑税、給人に納めた知行米などの勘定(決算)について、大庄屋に勘定目録を差し出せば、個々の村庄屋は鳥取の勘定所に出頭する必要はなかった。しかし松崎の町庄屋は毎年正月、勘定のため出府している。前掲「御用日記」には、安政3年(1856)までは正月20日が勘定日であったが、同4年以後は18日に変更になったと記している。
文政12年(1829)正月の記録によれば、松崎の町庄屋は「御勘定に出府仕り候処、案外の御切手値段に付、銀子引足り不申、其段に取集めも相成らず、限日迄(まで)に種々相働き借用仕り、御勘定仕り候、よんどころなく貸付の辻(総計)大数に相成り、丑年取集め仕り候得共、不足に相成り候(後略)」と述べている。前述のとおり、当時松崎町では、現米ではなく、切手米で納める仕来りであった。米切手は鳥取で求める積もりであったとみえる。
鳥取における切手値段が高値であったので、用意した銀札では所要の米切手が入手できず完納できなかった。そのため方々から借銀し、ようやく勘定は済ませたが、個々の町人からの差額徴収がはかどらず、町庄屋が苦労した経過を記録している。