第2編 歴史
第3章 近世
弟3節 和田氏と自分政治
5 和田氏支配と在方制度
その後の麻畑
和田定五郎は成人して左門信之と称し、天明元年(1781)には家老に任ぜられている。しかし、この問題についてその後協議された記録はない。麻畑の火事から100年余りたった明治2年の次の文書が、その後の経過を示しているように思われる。
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この文書は麻畑を独立した1村として認めてほしいとの嘆願書である。明治2年4月は、和田氏が松崎の自分政治を返上した時点であるが、依然として麻畑住人の根帳は松崎にあると述べている。麻畑の問題は、おそらくその後も協議されることなく、明治維新を迎えたものと思われる。
なお、麻畑のこの願いは認められなかった。川上村の反対があったためである。翌月、麻畑は川上村の出村となることの協定書に調印している(麻畑・清水正男所蔵文書)。