第2編 歴史

第3章 近世

弟3節 和田氏と自分政治

5 和田氏支配と在方制度

 

紛争の焦点

 このことにより、次の実態が判明した。麻畑は元禄13年(松田氏が麻畑開発に着手したとき)から70年近い間、年貢は川上村分に含めて上納していたが、「出百姓4件」の家族全員が松崎の松田家の家来という建前で、根帳(戸籍)も松崎にあり、宗門改めをはじめ、すべて松崎の町人として取り扱われていた。自分政治の権限内とみなされていたのである。

 一方、在方役所の側としては、麻畑は川上の分領であるから在方役所の所管であり、万事川上村庄屋・郡役を経由すべきもので、松崎町とは無関係との見解をとっていた。しかし、現実に麻畑の住人が松崎町に属していた事情は、在方役所も「その訳しかと相知れず」と述べている。

 この当時、和田家は当主が幼年(8歳)で、先代未亡人の時代であった。「諸事控」によれば、「前々より右麻畑の儀は、御屋敷(和田家)へ御作廻(さくま)いの由、承り伝へ候。もっとも御上(藩)御役人よりは、御年貢の外御吟味等の儀御座なき由申し伝へ候へ共、未だ確かなる証拠は得(え)相尋ね申さず候。右出火の儀、早速仰せ進じらるべきの処、前々の儀相調べ候の様仰せ付けられ、段々相尋ね候へども、年久敷儀、其上右昌賢跡唯今にては、老母まで御座候て、慥(たしか)なる儀相分かり申さず候、これによって御延引なされ候」と、和田家から在方役所に書面を送っている。確かな証拠はないが、60余年来の仕来りを幼主の代に変更されては困るという和田家の意図をうかがうことができる。