第2編 歴史

第3章 近世

弟3節 和田氏と自分政治

4 自分政治

 

約定後の経過

 銀談が妥結して鳥取に帰った前田良輔から、早速、町年寄両人あての手紙が届いている。

 

と450両は必要不可欠な金額であったが、一統(町役人一同の意か)が調達に努力した誠意をくみ、300両で解決したものであることを強調している。

 この金高は、松崎町の重立った町人の資力に応じて割り当てられた。借用証書の写しによると、300両の抵当物件として、中興寺・別所・中尾3か村の和田氏の知行米を充てている(資料編86号参照)。

 このような和田氏に対する融通は一再ならずあった。「御用日記」によっても、このほかに嘉永5年(1852)、安政元年(1854)にもあったことが知られる。