2編 歴史

3章 近世

3節 和田氏と自分政治

3 松崎町の支配体制

 

組頭

 組頭は、前述した在方の組頭と同じく5人組の頭である。藩の布告、法度の類はすべて町年寄・目代・組頭を経由して組内に周知された。

 次に安政4年(1857)当時の組頭を例示する。

 

  上町       仲町      田町      新町

 因幡屋勘兵衛   問屋忠助    戸田屋新七   中葉屋伊右衛門

 ふじ屋甚兵衛   よど屋友三郎  大村屋長兵衛  栗屋喜左衛門

 河上屋善治郎   若木屋弥助   園屋伝兵衛   玉屋平兵衛

 泉屋平治良    志摩屋林助           鴨谷屋半三郎

 かう屋儀三郎  

 木地山屋久七   

 小田屋長十郎   

 

 上町7組、仲町4組、田町3組、新町4組、計18組の5人組があったことが知られる。

 安政5年の改革で、五人組の長として小頭が置かれたこと、組頭は5人組の数組を統括する役となったことは在方と同様であった。松崎町には5名の組頭が置かれた(「明治4年河村郡松崎町役人書上帳」)。組の数から、上町に2名、仲町・田町・新町に各1名が置かれたとみられる。