第2編 歴史
第3章 近世
弟3節 和田氏と自分政治
2 和田氏の陣屋
上り屋敷
東郷神社の鳥居前の道路端に文政10年(1827)建立の石灯籠(ろう)がある。その基部には「小鹿谷村中」及び「上り屋敷中」の文字が刻まれている。両者が共同して建立したものである。すなわち、「小鹿谷村」と「上り屋敷」は別々の地域であり、上り屋敷は小鹿谷村庄屋の管轄外であったとみられる。
陣屋の留守居役として、藩政初期から上り屋敷に居住していたと思われる堀氏の墓所が中興寺にある。その中に「生国伯州松崎住」などと、生まれた国を伯州松崎とした墓碑が数基ある。また、藩政後期、酒造業により産を成した市橋氏の住居は上り屋敷にあったが、同氏は松崎町の酒造人に数えられている。このように、上り屋敷は松崎の一部とみなされていた。
上り屋敷は明治2年、上崎村と改められた。これは、「上り屋敷」と「松崎町」の一字ずつをとっての命名と推定され、両者の関係を物語っている。
別所の西田陽二所蔵の「明治3年9月上崎村田畑字寄地続絵図」によれば、上崎村は(したがって、上り屋敷は)次の範囲である。
字七谷、今原、うえ山、松上谷、屋敷、御屋敷、長字根、杉の子、永久寺、和利谷、森山、八谷
田畑(屋敷を含む)は合計して4町1反余である。この中には、士分の屋敷をはじめ、農民所持の屋敷・田畑もあった。なかには小鹿谷村、田畑村などの農民名義の田畑も相当数みられる。
また、東郷神社の鳥居の辺りから、東郷川の堤防に至る直線道路を広げて、幅16メートル・長さ140メートルぐらいの馬場が設けてあり、ここも上り屋敷の領域であった(天保14年「河村郡小鹿谷村田畑地続全図」町役場所蔵)。
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