第2編 歴史
第3章 近世
弟3節 和田氏と自分政治
1 和田氏
和田氏の禄高
寛永10年(1633)の知行高目録によれば、和田氏の禄高は播州で拝領した石高と同じく4600石であった。その後、三信のとき、400石を加増され5000石を領し、さらにその子真信のときに、父の隠居料を禄高に加えられ5500石となり、明治維新を迎える。
明治二年二月十四日、慶徳公より壱岐先々代鉄之丞信元へ給る所の御判物(はんもつ)(知行宛行状)壱通を返上す。同月十五日伯州松崎自分政治を廃せらる。
(「和田信美家譜」鳥取県立博物館所蔵)
信元に与えられていた判物には5500石とあるから、これが自分政治廃止当時の和田家の禄高である。
『鳥取藩史藩士列伝』によれば、明治元年12月奥州平定の功により、「信美には五百石を加増せられしも、固辞して受けず。三年二月遂に之を受く。」の記事があるから、版籍奉還後のことであるが、6000石の時期があったことを示す。