2編 歴史

3章 近世

3節 和田氏と自分政治

1 和田氏

 

和田氏の家系

 和田氏は代々近江国(滋賀県)甲賀郡和田谷に居住し、一城を預かる武将であった。八郎信維のとき、明智光秀を討つ山崎の合戦に参陣できなかったため、秀吉の怒りを受けた。そのため、八郎は徳川家康に調停を依頼しようと、三河(愛知県)に向かう途中、岐阜に城居していた池田信輝のもとに留められ、そのまま信輝の客将となった。八郎の子正信のとき池田氏の家臣となり、信輝の子池田輝政が姫路城を預かった折には、家禄4600石をあてがわれた。輝政の死後は、二男忠継に従って岡山に移り、家老の座に列した。正信に子がなかったので、米子荒尾氏の三男三正を養子にした(資料編69号)。前掲「因府録」に、

  寛永九年(一六三二)御国替の時、和田飛弾(三正)は十六才にて、御家中の屋敷割、諸色下知のため、先達て御国に引越し候由、是にて総明の事察し知るべし。

とあり、三正が若くして才幹のあったことを認めている。