第2編 歴史
第3章 近世
弟3節 和田氏と自分政治
松崎町の範囲
松崎町域を示す地図の類では、天保15年(1844)の「河村郡松崎町分田畑全図」(鳥取市・伊藤泰雄所蔵)が最も古い。次いで、明治5年作成の「河村郡松崎宿田畑地続字限絵図」(町役場所蔵)がある。この絵図の「小全図」によって図32を作成した。この図で次のことが知られる。
1、現在の松崎にある字「田町」が図にないこと。
天保14年(1843)作成の「河村郡中興寺村田畑地続全図」(町役場所蔵)によれば、現在の松崎字「田町」の全域が中興寺村領に含まれている。下って、明治5年2月の「河村郡中興寺村田畑地続字限絵図」(同右)では、この地域に張り紙をして、「松崎宿へ出地」と記す。明治5年以降のある時点で、この地域が中興寺村領から松崎宿領に編入されたことを表している。藩政時代から田町の町並みは存在したが、中興寺村地内に立地していたのである。
2、字「河尻」の飛び地があること。
松崎町とは地続きでない中興寺村字「浜田」地内に、字「河尻」と称する土地のあったことが分かる。2反余りの田である。このことは、前記の「中興寺村田畑地続全図」においても確かめられるが、その由来などは明らかではない。
そのほか、小字の境界が現在と違う所があるが、松崎の範囲には変化はない。
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