2編 歴史

3章 近世

3節 和田氏と自分政治

 

自分政治の形態

 松崎町は在方に属する村々と違い、和田氏の自分政治(自分手政治ともいう)の地であった。鳥取藩において自分政治といわれるのは、着座家のうち数家に対してそれぞれ町を預け、その町の行政を委任した制度である。すなわち、荒尾但馬守成利に米子町を、荒尾志摩嵩就に倉吉町を、和田飛騨守三正に松崎町を、津田筑後守元匡に八橋を、鵜(う)殿大隅(すみ)守長次に浦富を預け、その町政を委任したのである。

 これらの地は中世以来の重要な軍事拠点であった。これを藩の重臣に預け、その地内に陣屋(注)(米子では城)を設けさせ、政治を委任した。これは領内の要地を守備する軍事的意図に基づくものと推定される。

 鳥取藩の自分政治については、将来研究を要する課題が多い。この制度は、明治維新まで240年間引き継がれていった。

 (注) 江戸時代、代官・地頭などが領地・支配所に設置した屋敷・役宅をいう(柏書房『日本史用語辞典』)。