第2編 歴史

第3章 近世

第2節 鳥取池田家の成立

5 藩の庶民救済施策

 

御粥米

 また、凶年などに藩から御粥米(おかゆまい)を支給されることもあった。明治2年(1869)は全国的に稲作不良で、鳥取藩も「年来稀(まれ)なる区作」であったという(『鳥取県史3近世政治』)。

 同3年8月、松崎では御粥米の支給を必要とする者が83戸・138人あった。当時、松崎は200戸前後の戸数であったから、4割を超える家々で御粥米を必要としたのである。町庄屋は大庄屋から御粥米6石7升5合を受け取り、小枡で量り直すと、6石9斗あった。これを町役人立ち会いの上で次のとおり困窮者に支給した記録がある。

 

 (1人につき小枡5升あて)

1人分5升を支給した家   40戸

2人分1斗を支給した家   33戸

3人分1斗5升を支給した家  8戸

4人分2斗を支給した家    2戸

     計 6石9斗

                     (「明治3年午8月御粥米割渡し人別扣帳」)