第2編 歴史

第3章 近世

第2節 鳥取池田家の成立

5 藩の庶民救済施策

 

本立寺・大伝寺の資金

 本立寺が100石を三歩御貸米に差し出したのは、おそらく延享年間(1744〜47)と考えられる。初めは年々20石の利米を受け取っていたが、藩の財政ひっ迫により次第に減少し、文政11年(1828)ごろでは5石ずつ(資料編79号)、さらに安政2年(1855)からは4石ずつと減少した(『鳥取藩史民政志』)。

 大伝寺が100石(代銀4貫300目)を牛銀に回したのは享保19年(1734)ごろである(『鳥取藩史寺社志』)。長和田・長伝寺の住職仙長和尚が大伝寺の維持費をねん出するため、牛銀に差し出したものである。毎年1割5分の利銀を受け取っていたが、宝暦5年(1755)には、5か年分の利銀支払いが滞ったので、本寺である長伝寺から藩に支払い方を催促している(資料編99号)。

 明治維新後、これらの資金の元本は藩から返還されなかったと推定される。倉吉の大岳院は50両を牛銀に出資していたが返還されず、後年、旧藩主池田家に返還請求をしたが、無回答であったという例がある。