第2編 歴史
第3章 近世
第2節 鳥取池田家の成立
5 藩の庶民救済施策
貸米銀制度の実態
鳥取藩の貸米銀の制度は、藩政初期においては、農民救済の意味が強かったが、時代が下るとともに強制的な貸し付けに変化していったとする説がある(河手龍海『因州藩鳥取池田家の成立』)。藩が貸し付けによって、利息収入を図ったとみるのである。
幕末の慶応2年(1866)6月の「別所村三歩御貸米帳」(別所・西田陽二所蔵)によれば、別所村の惣竈(かまど)(戸数)36軒のうち、32軒が最低1斗から最高4斗までの御貸米を受けたことを記録している。貸米を受ける必要があったとは考えられない別所村の上層部を含む9割近い家々で借り受けているのである。このことは、この貸米が強制的であったことを示すものかもしれない。