第2編 歴史
第3章 近世
第2節 鳥取池田家の成立
4 貢租制度
(4) 貢納
給人と給所
鳥取藩では藩士の俸禄を支給するのに2つの方法があった。禄高100石以上の者には原則として給所(知行所ともいう)を与え、それ以下の下級の藩士には扶持米並びに支配米として蔵米を支給した。給所を与えられた者を給人という。給所を与えるとは、土地を与えることではなく、給所の納める年貢米を給人が俸禄として取得することである。鳥取藩の政策は、給人と給所の間の主従関係を否定し、原則的には給人が給所の政治に介入することや、給所の農民を勝手に使役することなどを禁止していた。
しかし、給所が付加税として納める夫口米などは給人の所得になること、時には給人が給所の農民に種米を貸し付けて利息収入を得ること、給所の庄屋給は給人から支給されていたことなど、両者の関係は深いものがあった。
資料編93号に採録した文書によれば、川上村の給人吉田三右衛門がよそから借銀するについて、川上村の住民44名がその居宅などを抵当物件に提供している。給人と給所の農民との密接な関係を示すものといえよう。
また、給人は、給所の農民に対しては「地頭」と自称したことが知られる(資料編94号)。