2編 歴史

3章 近世

2節 鳥取池田家の成立

4 貢租制度

 

() 貢納

 

納枡

 枡には、古米から容量の違った数多くのものがあったが、江戸時代に入って幕府は東国33か国には江戸枡を、西国35か国には京枡を使用させることにした。当初、両枡の容量に相違があったが、寛文9年(1669)江戸枡を京枡と同量に改めたので、枡の名称は違ったが、容量は全国統一されたという。

 藩内では京枡も含めて3種類の枡が使用された。

 (1) 京枡 幕府公定の枡で、藩士の扶持(ふち)米の出納に使用したので、扶持枡とも呼ばれた。

 (2) 町枡 米子枡・水枡などとも呼ばれ、民間相互の取り引きに使用されたという。

 (3) 納枡 年貢を納めるのに用いられた。その沿革は明らかでないといわれる。

 町枡・納枡は藩内で公定したものであるが、幕府に対しては秘密にしていた。『鳥取藩史殖産商工志』によれば、京枡・納枡には新旧があって容量が違うが、新しい分で納枡1升は京枡の1升8勺に相当したとしている。しかし、これには計算違いがみられ、1升1合01とするのが正しいようである。筆者が方面・原田敏明所有の納枡を実測した結果においても、同様な数値を得た。

 年貢には夫口米などの付加税が0.09075加わることは前述した。納枡1升が京枡1升1合として、年貢と付加税を納枡で量ると、京枡の場合の約1.2倍となる。すなわち、本年貢の約2割を増徴されることになる。したがって、「久見村の田の実態」の項で述べた、推定3割6分余の面積の余裕のうち、2割は無意味となる計算である。

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