2編 歴史

3章 近世

2節 鳥取池田家の成立

4 貢租制度

 

() 請免制

 

雑税と課役

 本年貢とその付加税である夫口糠藁縄米が藩の収入の大部分を占めたが、このほかに小物成・運上などの雑税があった。小物成とは、山役・川役・池役・藪(やぶ)役など山野池沼に課す税で、特に改廃がない限り税額は一定不変であり、年貢免状に年額が記載してあった。

 長和田村の年貢免状によれば、藩政初期は犬米(藩主の鷹狩り用の犬の飼養米)3斗6升8合を課せられており、これが天和2年(1682)の年貢免状まで続いている。貞享5年(1688)の免状では犬米が廃止され、元禄8年(1695)の免状から、藪役12匁7分が課せられ、以後変更なく続いている。他の村々の小物成も多分元禄のころから固定したものと思われる。

 町域内各村落の小物成は、表21のとおりである。

 藪役の多いのは、野花・羽衣石・福永・埴見・川上・北方などの順となる。比較的奥まった村に藪が多かったことを物語る。池役については、松崎だけが銀建てになっているほかは、藤津が米6石と飛び抜けて多い。漁獲など池にかかわる収入が多かったためであろう。

 運上は主として営業所得に課せられたもので、税額は時により変更があった。軸(ろくろ力)運上・船運上・酒運上・綱運上など種々の運上が知られる。軸運上は木地道具製造に課せられた。藩政初期、羽衣石は長和田の枝村であったから、羽衣石山木地屋の軸運上として、長和田村が銀28匁を納めたと記録されている(「埴見郷伝記」)。

 船運上は船に課せられたものであるが。町域内の船運上銀は表22のとおりである。この資料は宝暦年間(1751〜63)の記録と推定される。

 藩の規定では、小猟船・草苅船・かん船共に1艘につき銀3匁となっているが、この表では規定どおりには賦課されていない。文化7年(1810)10月の「長江村船御改帳」(長江区有文書)では、同年9月新造の竿孤(かんこ)船5艘は「運上銀御免」とあり、免除される場合もあったことを示している。

安政6年(1859)「松崎町酒御運上銀帳」(松崎・足羽愛輔所蔵)によれば、このころの松崎町の酒造人及び運上銀は、次のとおりである。

  1銀135匁   松本屋善蔵

  1銀 44匁   倉吉屋善蔵

  1銀 65匁   亀屋文重郎

  1銀 76匁   糀屋甚重郎

  銀高合 320目

この銀高を7月・12月の2回に分けて納めることになっていた。醸造石数は、不明である。

 雑税のほかに課役もあったことが知られる。棟(むね)役といった。棟役1軒は年間20日(20人役)の割り当てであったから、20日役ともいう。井手ざらえや用水工事などに、原則として無償で就役させられた。

 各村の課役は、表23のとおりである。

 おおよそ、村の戸数を基準とした課役のように思われるが、長和田は長江より戸数は少ないのに、なぜか180人役と異常に多い。松崎は町方であり、棟役は免除されていた。