第2編 歴史

第3章 近世

第2節 鳥取池田家の成立

4 貢租制度

 

(2) 請免制になるまで

 

地平し段免制

 土免制に代わって元禄4年(1691)から実施されたのは、地平(なら)し段免制である。この制度は田畑の地味の良否に従い、田畑をそれぞれ1から6までの6段階に分け、その段階ごとに異なる免を定めるという、きめの細かい課税方法であった。

 そのためには、毎年綿密な地平し(実地に検分すること)を行って耕地の実態を把握することを前提とし、できるだけ公平な課税を行うことによって、農民の支持を得るとともに、藩の税収源を逃さないことをねらったものであった(『鳥取県史3近世政治』)。領内全部の地平しは大事業であったが、同8年(1695)に至りようやく終了したという。

 この制度による年貢免状は、

 門田村分  元禄5年(1692)  (門田・岡本稚樹所蔵)

 長和田分  〃 8年(1695)  (一部欠)  (長和田・佐々木守成所蔵)

の2通が伝わっている。このうち、門田村のものをみると右のように課税してある。定米とは年貢米の意味である。

 門田村の第1等に属する田の高は6石9斗1合と少ないが、免は72.14パーセントと高率で、年貢は4石9斗7升8合と算定されている。同様に田は4等級、畑は3等級に分かれ、それぞれ異なる免で年貢が算出され、合計で151石2斗8升2合となる。

 このように地平し段免は、非常に繁雑であり、また、労の多い割には藩の収入も増加せず、農民にも不評で苦情が続出した。元禄9年(1696)は豊作であったので、在中から収穫の3パーセントを冥加(みょうが)米(願いを許可してもらうための献金)として上納する代わりに、地平し段免制の廃止を願い出たので、藩はこれを承認した。再び土免制に復帰することになったのである。この年の年貢免状が宮内に伝わっている(写真参照)。「外ニ弐石弐斗三升弐合三分上リ米」とあるのが、冥加米を指している。

 しかし、これも1年限りで、翌10年から請免制に移行することになる。

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