第2編 歴史

第3章 近世

第2節 鳥取池田家の成立

3 田畑の実状

 

貢租と地主・小作の取り分

 前表に載せた田は久見村の一部であり、これをもって町内全域の実状と断定することはできないが、おおよその見当は推察できよう。この表の合計欄で計算すると、藩政時代の反当たり(3割6分余の面積の余裕を含む)の石高は2石4斗1升(表の�I÷�H)あったことになり、その配分は、

 貢租    (表の�J÷�H)1石1升    42パーセント

 地主の取り分(同 �K÷�H)6斗8升    28パーセント

 小作の取り分(同 �L÷�H)7斗2升    30パーセント

となる。

 「田畑売買証文の検討」の項で述べた小鹿谷村の田が久見村並みの面積の余裕並びに収穫があったとすると、その実収は2石8斗余と推定される。したがって、宛口米1石5斗を差し引いても、小作の手元には1石3斗余が残った計算となる。藩政時代の田畑の「高」が、実態とはかけ離れたものであったことがうかがわれる。