第2編 歴史
第3章 近世
第2節 鳥取池田家の成立
3 田畑の実状
田畑売買証文の検討
藩政時代の文書で、最も数多く残っているのは証文の類であろう。特に「永代売渡申田地之事」といった標題の田畑売買証文が多い。売買などにより田畑を取得した家では、所有権を証明する重要書類として、代々引き継がれているのである。文言中に売渡物件の条件を記入した場合がある。一例を示す。
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上り屋敷の善六の所持する田地を小鹿谷の清重郎に売却した際の証文である。売却後も善六はこの田を耕作するためか、証文には小作する場合の条件を記している。
説明
(1)は、田の等級・面積・所在地。
(2)は、その田に対する藩の公定収穫高。小鹿谷村の下々田の斗代は1石3斗であったから、その割合で計算されている。
(3)は、物成すなわち年貢。本免(本年貢)と懸り物(付加税)の合計。
(4)は、村費。現在の区費に相当するものであろう。
(5)は、(3)と(4)の合計。
(6)は、小作させる場合の条件を示す。仕切(しきり)とは、年貢などの負担米と地主に納める地利米の合計。宛口(あてくち)米ともいう。
(7)は、地主の取り分で、(6)と(5)の差。
ここに示された数字がそのまま実現であったとすると、小作人の手元に残る米は1升7合である((2)と(6)の差)。
わずか1升7合の米を得るために、1反1畝余りの田を小作する者はいないはずである。ここに挙げた例は決して例外的なものではない。(6)の仕切米が、逆に(2)の高より多い場合が珍しくないのである。しかし、(3)以下の数字には間違いはない。年貢や地利米は証文どおり納めなければならなかった。そうすると、残る(1)と(2)の数字が実態を表していないとみるほかはない。これについて考察を加えてみたい。