第2編 歴史
第3章 近世
第2節 鳥取池田家の成立
2 検地
村高
村高とは、1村内の1筆ごとの田畑の高(公定収穫高)を集計したものである。藩はこの村高により年貢の納入を求めた。藩から村々に下した年貢免状(後述)には「村高」が明記されている。
この村高は元禄3年(1690)までは、年貢免状に単に「高」とのみ記入され、同4年以降は「朱高」と表示されている(『鳥取藩史財政志』)。「高」と「朱高」が内容においてどう変化したか、町域内の全村についてこれを対照する資料はないが、全く変化はなかったと推定される。元禄3年を境にして、それ以前と以後の年貢免状の残っている長和田・門田・長江の各村でこれを確認することができる。
町域内各村の朱高は、表17のとおりである。
朱高が最も少ないのは松崎・佐美である。多いのは長江・長和田が突出し、藤津・方地が次いでいる。
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