2編 歴史

3章 近世

2節 鳥取池田家の成立

2 検地

 

斗代

 前述のとおり、田畑の反当たりの公定収穫高を斗代(とだい)(土代とも)といった。すなわち、生産性の高い田畑は斗代が高く、田畑の等級は斗代によって表された。斗代は土地の高低、地味・通水の良否などにより算定されたといわれる。1村内で最も生産性の高い田を上田とし、以下、中田・下田・下々田・印下々田の5等級に区分し、斗代は上田より順次2斗下りに定められていた。同じ上田でも村によって斗代が違う。上田の斗代が2石の村を上々村とし、以下上村・中村・下村・下々村(5区分あり)の9等級に区分され、こちらは順次1斗下りであった。畑もほぼ同様の区分であった(表15参照)。

 町域内各村落の斗代は表16のとおりである。

 田について見ると、東郷地区は大体上村に入り、舎人・花見地区は中村に入る。門田はなぜか下々村で1石5斗と低い。斗代2石の田、1石4斗の畑、すなわち最上級の田畑は因幡にあるだけで、伯耆では1石9斗の田、1石2斗の畑が最上であった。松崎・中興寺・久見・中尾・田畑・小鹿谷は田畑ともに、伯耆では最上のランクである。

 羽衣石の斗代に中田・中畑と注記してある。これは前述の「一村内で最も生産性の高い田を上田とする」という説明と矛盾するが、その理由は明らかでない。このような注記のあるのは、河村郡内で羽衣石のほか、中津・栗祖(共に三朝町)など数か村がある。いずれも山奥に位置する村に限られている。

 なお、屋敷地にもその村の上畑としての斗代が付けられた。畑と同様年貢の対象となったのである。ただし、松崎は町方に属する地域として、屋敷地に対する年貢は免除されていたとみられる。