第2編 歴史
第3章 近世
第2節 鳥取池田家の成立
2 検地
「別所村民図帳」の分析
「別所村民図帳」によれば、別所村の耕地・屋敷地の合計は、
田 210筆 11町5反1畝
畑 83筆 2町8反
屋敷 16筆 3反4畝6分
となっており、名請人の保有耕地(屋敷地を含む)の面積別の人数と屋敷地所有者の関係は、表13のとおりである。
名請人の半数以上が3反未満である。また、8反以上の名請人は必ず屋敷を持っているが、5反未満で屋敷を持った者は23人中わずか7人である。ただし、屋敷地の面積は必ずしも保有耕地の面積に比例しない。最も広い210坪の屋敷を持つ太郎兵衛の耕地は4反余りに過ぎない。次に132坪の屋敷を持つ者が2人いる。その他の屋敷所有者11人の1戸平均の屋敷面積は42.5坪である。元和4年(1618)会見郡坂根村(西伯町)の検地帳によれば、当時の農民の家の大きさは、庄屋級で2間×5間、庄屋下人(使用人)級で1間×2間であり、後世に比して小規模であったとされる(『鳥取県史3近世政治』)。
田畑の名請人として検地帳に名は出ても屋敷を持たない別所村の半数の農民は、屋敷所有者を中心に小集団を作り、その共同作業によって生活したものと思われる。
また、この時代に他村の者が、別所村の耕地の約6パーセントの名請人になっている。しかし、その全部が近隣の山辺・中尾・高辻・方面などの住民であって、自身で耕作していたと解される。
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