第2編 歴史
第3章 近世
第2節 鳥取池田家の成立
2 検地
検地と地詰
検地とは、田畑・屋敷を1筆ごとに面積を測り、その品位(上・中・下などの別)・収穫高を調査し、名請人を決定することである。名請人とは、所持する田畑を検地帳に登録された者、すなわち、貢租その他の負担を義務付けられる者である。土地を測るだけでなく、貢租を負担する者がだれであるかを認定することが重要であった。
『鳥取県史3近世政治』は因伯両国の検地史料として、「元和4年(1618)検地帳」と「寛永10年(1633)地詰帳」について検討している。これによると、
イ これらの帳簿が後代に至ってもその表紙を残して書き替えられ、土地基本台帳としての役割を果たし続けた。
ロ 帳簿を持ち伝える村は、「元和4年検地帳」か「寛永10年地詰帳」のいずれかであり、両方を持ち伝える村は皆無である。
このことから、「元和4年検地帳」を土地台帳として持ち伝えた村では、寛永10年の検地を受けなかったとし、さらに、「寛永10年地詰帳」を基本台帳とした村では、この時期に地詰検地がなされたと推定している。
地詰検地とは、田畑の品位・土代(1反の公定収穫高)は従来のままとし、反別の測量と名請人の修正だけにとどめる点で本検地と異なるといわれる。なお、高辻には寛永3年(1626)の年紀がある「河村郡高辻村地詰御改帳」が伝えられている(高辻・山本操男所蔵)。この年に因伯で検地が行われた記録はないので、特別の事由により高辻村で実施されたことを示すものであろう。町内では最古の検地帳である。