第2編 歴史

第3章 近世

第2節 鳥取池田家の成立

1 在方制度

 

因幡から通じる道

 寛政7年(1759)に書かれた『因幡誌』によれば、因幡(青谷町)から町域内に通じる山道に次の3つのルートがあった。

1、田原谷村(青谷町)から方地に通じる道。「1里ただし48町なり、松崎へ往来の馬道にて、是を向谷水越坂という」とある。「水コシ」は方地地内の地名である。

2、絹見村(青谷町)引地から北方(北福)に通じる道。「河合越という。行程48町。馬道なり」と記す。途中、泊村字園地内に字「河合」の地名があるから、ここを経由したための命名であろう。

3、桑原村(青谷町)から川上に通じる道。「川上越という。道広さ2尺、険阻(けんそ)にして12月より翌年正月まで大雪にて人馬通らず」とある。この道は現在も通じている。