第2編 歴史

第3章 近世

第1節 近世初期の時代

 

伯耆代官山田五郎兵衛の支配

 中村氏が断絶したあと、伯耆は数名の大名に分割して与えられた。このとき、久米・河村両郡には大名は配置されず、幕府の直轄領となって、慶長14年(1609)幕府から代官山田五郎兵衛直時が派遣された。幕府の命令は代官に下され、代官山田五郎兵衛がこれを受けて伯耆の諸大名に伝えていたとされる(『鳥取県史3近世政治』)。

 (1)前掲「東郷八幡宮古文書」(資料編15号)に、「山田五郎兵衛殿仕置(しおき)の如く、高廿石末代御寄進成さるべく候」とあり、山田五郎兵衛がこの地を仕置(取り締まること)していたことが分かる。

 (2)山田五郎兵衛は元和の一国一城令の規定に沿って、松崎城などの破却に努めたといわれる(『同書』)。羽衣石城の出城としての松崎城は、関ヶ原の戦い後、徳川方によって

破壊されたと伝えられているから、山田氏によって破却されたとする城は、河毛氏が再建したものであったかもしれない。

 山田五郎兵衛の代官時代は元和3年(1617)までの8年間であった。


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