第2編 歴史
1章 原始・古代
第五節 奈良・平安時代
二 条里制と郷土
小字地名による考察
町内の平野部の小字地名の中で、1から36までの数詞を冠したものはわずかである。今日伝わっている小字地名は、条里制の消滅とともに、条里制以前の呼称が復活したり、あるいは後世になってから新たに付け直されたりしたものと思われる。しかし、小字の形状を見ると、明らかに条里制の1坪に相当する方格地割が行われている地域がある。長江と久見・中興寺の2か所が特に顕著である。
また、方格地割の形は必ずしも明りょうでないが、小字の2辺がほぼ東西と南北に走っており、条里制遺構と推定される場所も見受けられる。方地を中心とした舎人地区がこれである。
次に天保年間に作成された各村の「田畑地続全図」、あるいは明治年間に作成された「田畑地続字限絵図」などを基にしながら、長江、久見・中興寺及び舎人の3地区について考察を進めたい。ここでは、「付図」の小字全図も参照されたい。別に掲げた長江と久見・中興寺の小字図では、方格地割の中に見られる田の「畔」の区分も図示しておいた。これは、半折(はおり)・長地(ながち)型のいずれかの遺構を示すものである。また、3地区を中心に「小字の面積と東西・南北の長さ」を表に掲げたが、いずれも方格地割に近い形状を残している小字のみを抽出している。なお、方格地割の形を崩しているが、数詞名・坪名を持つ小字などについては、面積のみを掲げた。
「〇反田」に見られる数詞は、面積を表す地名で坪付番号とは無関係と思われるものが多いとされる(『地誌考』)が、条里制復元のための側面的資料として取り上げた。