第2編 歴史
第1章 原始・古代
第4節 古墳時代
1 時代の特色と古墳
古墳の衰退
古墳時代中期に畿内に築かれた仁徳天皇陵、応神天皇陵は、長さ400〜500メートルの巨大な前方後円墳であり、国土統一を進めた大和政権の力を象徴する墳墓である。古墳は、北海道・東北地方北部と沖縄諸島を除く全国各地に広まった。後期になると、家族墓的性格を持つ群集墳が増え始め、規模も小さくなる。古墳の衰退を決定的にしたのは、律令国家による大化2年(646)の薄葬令(墓葬に対する規制令)や、仏教伝来(538、一説に552年)に伴う火葬思想の普及である。我が国で初めて火葬に付されたのは、文武天皇4年(700)に亡くなった僧道昭であるとされる。その後、持統・文武・元明・天正の諸天皇も火葬にされ、次第に僧侶(りょ)や貴族の間に広まったという(松尾陽吉編『郷土史事典鳥取県』)。県内では、天皇に侍した采女(うねめ)と思われる伊福吉部徳足比売の火葬が知られる。墓は国府町岩下にあるが、銅製の骨蔵器の銘文によって、和銅3年(710)に火葬されたことがわかる。
このような経過で、古墳の築造は次第に衰退する。かつて古墳づくりに傾注された豪族たちの異常なエネルギーは、以後寺院の建立に向けられたとみられている。